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空想ブログ  蒼い空の下で

主にドラマ「白い影」のサイドストーリーです

10年...(2)

「すみません...志村倫子さんいらっしゃいますか?」

ある日の午後、一人の老いた女性がナースステーションをたずねてきた

「志村さーん、お客様です」新人看護師の大森に呼ばれ、奥で事務作業をしていた倫子が窓口に出た

 

「志村さん、お久しぶりです。あの時は本当にお世話になりました」その女性は倫子に深々と頭を下げた

「あの...石倉さんの...ミツさん!!お久しぶりです!!」

倫子はその女性の顔を見て驚きの声をあげた

 

「あれから10年経つんですね...早かったなぁ...病院内も少し変りましたね」

病院の中庭のベンチに腰をかけたミツはそうつぶやいた

「本当にあっという間でしたよね。石倉さんを担当させて頂いたのが10年前だなんて」倫子も隣に座りつぶやく

「そうですよね。志村さんも直江先生が亡くなられて10年も経つだなんて信じられないでしょう。先日、スーパーでばったり小橋先生のご一家とお会いして...直江先生とあなたについて近況をお聞きしたら、石倉が亡くなってから一カ月もしないで亡くなられたと聞いた時は本当に驚きましたよ。」ミツはペットボトルのお茶を飲みながらつぶやく

「もう2人がいなくなって10年になるんですものね。天国で2人でなかよくやっているかな」倫子も中庭から空を見上げてつぶやく

「でも、直江先生との間に息子さんを授かられたようで...もう小学生ですって?」ミツは笑みを浮かべながら倫子に尋ねる

「そうなんです。もうヤンチャ盛りで」倫子は苦笑いしながら返す

「でも先生の分身と過ごせるのは嬉しいでしょう」ミツも笑いながらつぶやく

「えぇ、特に亡くなってからの1年間は息子の存在があったから生きれたと思っていますから。息子がいなかったら今も立直れていないかもしれないです」倫子はそう言ってペットボトルの紅茶を飲む

「私もあの人が亡くなって1年は毎日泣いてましたよ。仕事中も涙が出てしまっていて...」ミツは当時を懐かしむようにつぶやく

「ミツさんは大変だったでしょう。石倉さんが亡くなった後、一人で頑張らなくてはいけなくて。」倫子はそう言いながら、病院の廊下を仲睦ましそうに歩く老夫婦を見て当時の石倉とミツの姿を重ね合わせた

「でもね、職場の人が支えてくれてね。気分転換に食事に誘ってくれて話を聞いてくれたりね...」ミツはそう言うと少し笑みを浮かべる

その言葉に安堵した倫子がふとミツの手に目をやると、左手の薬指に指輪がはめられていた。

「ミツさん...もしかして...」それを見た倫子が思わずミツに尋ねる

「実はね、あの後良い縁に恵まれてね...結婚したの..」ミツは照れくさそうに言う

「そうだったんですね。石倉さん喜んでますよ」倫子は涙ぐみながらミツの背中に手を置く

「あの人が見守ってくれてたんでしょうね。亡くなった後、私が働くスーパーに夫が偶然買い物をしに来たの。私達は地元の幼馴染だったのだけど、私が高校卒業して上京をして以来会っていなかった。お互いに歳を取って、当時とは容姿が変わったけど、夫はネームプレートを見て私だと気がついたみたいで、向こうから話しかけて来てくれてね...」ミツが愛おしそうに結婚指輪を撫でながら語る

「へぇ~運命の再会ですね。」倫子がそう言って笑みを浮かべる

「実は夫は石倉がやっていた、焼鳥屋に食べに来たことがあってね。私はその時、用事でいなくて、知らなかったのだけど。再会したその日もあの焼鳥屋にまた食べに行きたいなと思って行ったけど閉店していて、その帰り道で私が働いていたスーパーに寄ったみたい。普段はそこのスーパーで買い物をしない人だったのだけどね。きっと石倉が引きあわせてくれたのね」ミツはそう言って空を見上げる

「ですよね。石倉さんが旦那様にミツさんを託したんでしょうね」倫子はそう言って目を潤ませながら微笑む

倫子はミツのことを思い出して胸が苦しくなることがあった。しかし、ミツが幸せな姿を見せてくれたことに安堵の気持ちでいっぱいになった。

「ミツさんとまたお会いできて本当に良かった...」倫子の目からは大粒の涙が流れ落ちる

「私も倫子さんにお礼を言えて本当に良かった...」そういうミツの目からも大粒の涙が流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

10年...(1)

2011年夏、倫子は院長室に呼び出されていた

 

「主任?!」

倫子は驚きの声を上げた

「そうです、あなたに是非やっていただきたい」院長が人事配置の資料を見ながら、そう言った

「でも、主任だなんて...」倫子は戸惑う

「あなたの人望の高さを私は買っているんです。主任は単に仕事が出来るだけじゃダメだと考えていてね。あなたには後輩の指導やフォローも出来る能力がある」

「ありがとうございます...」倫子は戸惑いつつも認められた嬉しさでいっぱいになる

 

「聞きましたよ~主任に昇格だって?よっ!主任!」神崎がナースステーションで倫子を祝福する

「まだ主任じゃないですよ~来年から」倫子はそう言って神崎をたしなめる

 

「こんにちわ~、夫がいつもお世話になってます!」

その時、ハスキーな声が後ろからして振り向くと小夜子が立っている

「二関さん..じゃなかった神崎さん!どうですか?体調の方?」倫子が小夜子の大きなお腹を見て気遣う

「順調よ!もう妊娠生活も三回目になるから慣れたっていうのもあるかな。ほら、あなた達、ちゃんと挨拶しなさい!」

小夜子はそう言って,傍らにいる二人の男児と一人の女児に挨拶を促す

「こんにちは、父がいつもお世話になってます」三人は可愛らしくそう言って頭を下げる

「廉くんと葵ちゃん、それに祐くん!大きくなったわね~」倫子がしゃがんで三人の頭を撫でる

「廉と葵は陽介くんの一学年下、祐は今年幼稚園に入ったの。双子産んで、まさか下に二人も授かるとはね...毎日子供たちに振り回されっぱなし。でも子育ては楽しいし、この子たちの笑顔を見るたびに産まれてきてくれてありがとうって気持ちになるの」小夜子は愛おしげに三人を見ながら言う

「小夜子さんが4人のお子さんのママだなんて、出逢った頃は想像もつかなかったな」倫子が10年前を懐柔しながら言う

「私も、まさか自分が4人授かっているなんて想像も出来なかった。そもそも家庭を作りたいとも思わなかったし、作れるとも思わなかった。だから結婚願望なんてなかった。」小夜子も愛おしげにお腹をさすりながら言う

「それもこれも、この俺のおかげだろ~」神崎が二人の会話に入り込む

「また、調子に乗って~そうそう、部屋の電気つけっぱなしだったわよ。それと、葵だってもう小学校2年なんだから変なビデオ見て置きっぱなしにしてるんじゃないわよ」小夜子は神崎をそう言って冷たくあしらうが、照れ隠しなのが伝わってくる

「そうそう小夜子さん、この経済雑誌に載っていましたよ、女性が飛躍する企業の優秀な研究職社員としてインタビュー受けてましたよね。こないだフロンティア製薬の人が来ていたけど、小夜子さんは初の女性執行役員就任もありえるんじゃないかとか言ってましたよ」倫子が経済雑誌を指し示しながら言う

「嫌だなぁ...私は現場にいるつもりよ」小夜子が髪を掻き上げながら照れくさそうに言う

「そうそう、だから僕は小夜子を支えるために来年から一旦家庭に入ることにしたんだよ」

「えっ?!」倫子が驚く

「子供が大きくなるまで僕は仕事する小夜子に変わって育児と家事やるために行田病院退職します。はっきり言ってしまえば主夫になるつもり」神崎が頭を掻きながら言う

「私が子育てが大変だから、退職しようか悩んでいることを相談したら、それなら僕が家庭に入るって言ってくれて...」小夜子が苦笑いしながら言う

「確かに、今だと育休産休取る男性とか主夫やる男性出てきてますもんね。昔は聞いたことなかったけど...でも神崎先生なら家事とか育児楽しんでそう!頑張ってくださいね」倫子が神崎の決断に驚きながらもエールを送る

「でも、変なビデオを見る時間も増えそうなのが不安なのよ~近くにレンタルビデオ店あるし」小夜子はそう言って神崎をじろりとにらむ

「主夫になったからには、ちゃんとわきまえるよ~」神崎がそう言って弁解した

「変なビデオ見てないか葵に確認するわよ!」小夜子がそう言って神崎の肩をたたく

「ママ~こないだパパの部屋に水着着たお姉さんの雑誌があった~」葵がにやにやしてつぶやく

「あなたっ!!」小夜子が怒って手を上げる真似をする

「ひぃ~怒るなよ~あっ、今夜はみんなで食事にでも行くか!!この近くに美味しいレストランあるんだよ」神崎はごまかすように小夜子のご機嫌を取る

「全く、あんたって人は...」小夜子は呆れる

「あははは...」それを見ていた倫子が笑った

 

夢へ 2010年

「今日はクリスマス・イブか...」

2010年12月25日と記された日めくりカレンダーを見ながら杏奈はつぶやく

「おっ!杏奈起きてたのか?今日も化粧が濃いな~薄くてもお前は綺麗なのに」起きてきた真一が杏奈のマスカラとアイラインで囲まれた目元を見て言う

「私だって、もう19歳だよ。化粧ぐらいするわよ。北川景子ちゃん風にしたんだから」杏奈がそう言いながらブラウン色に染められた髪の毛を整えながらつぶやく

「まぁ、中高の6年間は勉強ばかりだったからな。専門課程始まる3年からは忙しくなることだし。でもハメを外すんじゃないぞ」真一が新聞を読みながら言う

「わかってるわよ~あっ!今日は帰り遅いから」杏奈がミニのトレンチコートを羽織りながら言う

「遅いって...まさか、男と?!」真一が動揺したようにつぶやく

「違うわよ~大学の友達とクリスマス会!!」杏奈がピアスを着けながら言う

「そっか....」真一がホッとしたように言う

「杏奈、今日は合コンなんだもんね!」横で聞いていた泰子がニヤニヤしながら言う

「合コン?!男も来るのか?!」真一はうろたえる

「まぁ...そうだけど。ほら、ウチの大学の医学部の男子は彼女ありが多いし...他学部だと医学部と知った途端に敬遠されるのよ...そこで私たちは市内の違う大学の医学部生と合コンしようってことになって...」杏奈がそう言いながら弁解する

「おいおい、恋人はな、作るものじゃなくて自然の流れで出来るものなんだぞ!母さんとはな...」真一が泰子とのなれそめを語ろうとする

「もうその話、聞き飽きたわよ。学生のうちはキス以上はしないからご安心を」杏奈がそう言って真一をたしなめる

「キスも早いぞ!というか恋愛自体早い!」

「高校時代の友達は私と美奈子以外、みんな彼氏いるのよ~いつまでも子供扱いなんだから!卒業する時にはもう24なんだから、その年までキスしかしないって相当真面目だと思うけどっ」杏奈が呆れたように言う

「確かにそうだよな...変な男にひっかかるなよ」真一はそう言って強く念を押す

「お父さんったら、自分は19歳の私にアプローチしてきたぐらいなのにね」泰子がニヤけながら言う

「えぇ~そうなの~」杏奈もニヤけながら便乗する

「余計なことを...」真一がたじろぐ

その時電話が鳴った

「泰子、電話!」助かったとばかりに真一が泰子に出るように促す

「もしもし、伊藤です。あら?!陽介ちゃん」その電話は東京にいる陽介からだった

「3月16日にこっちに帰るのね?叔母さんもお祖母ちゃんも叔父さんも楽しみに待ってるわよ~杏奈?変わるわね。杏奈、陽介ちゃん」そう言って泰子は受話器を杏奈に渡す

「もしもし!」杏奈が電話に出る

「久しぶり!来年3月帰るからよろしく~」陽介もノリよく答える

「はいはい、それよりあんたゲームばっかりやってるんですって。ちゃんと勉強しなさいよ」杏奈が母親のように陽介に説教をする

「まぁまぁ、これでも成績は良い方なんだぞ」陽介が小生意気に答える

「中学入ったら大変なんだから~その時に備えて勉強しとき!」杏奈が陽介の小生意気な態度を制するように言う

「はいはい~そういえば大学でボーイフレンドは出来たの?」陽介がはやし立てるように言う

「まだ募集中よ!」杏奈が強く答える

「やっぱりな~その気の強い性格直さないと一生募集中だぞ!」陽介の冷やかす声が聞こえる

「うるさいな~帰ってきても何も買ってあげないわよ」杏奈もムキになる

「うわっ、ごめんごめん。杏奈様が美しいから男が寄ってこないのであります」陽介がふざけておべっかを言う

「よろしい」杏奈が得意げに答える

「こら~陽介生意気な口のきき方するんじゃないの!」受話器の向こうから倫子が叱る声が聞こえる

「ひゃ~母さん!」陽介がそう言いながら退散する

「杏奈ちゃんごめんね。陽介が生意気で」電話を変わった倫子が謝る

「いえいえ、元気そうで私も嬉しいです」杏奈も笑いながら言う

「杏奈ちゃん、大学はどう?」倫子が聞く

「まだ教養課程で医学については学んでいないけど、教養科目も楽しいし、遊んだりバイトしたり大学生ライフ満喫してます。そうそうボート部のマネージャーもやってます」杏奈が近況を報告する

「良かった~、あの人も嬉しいだろうな」倫子が言う

「でもちゃんと卒業して国家試験に受かるまではは油断できないですよね。今でも母にそれまでは叔父さんも安心できないわよと言われてます」杏奈が苦笑いしながら言う

「まだ、杏奈ちゃんの弱点はあの人なのね」倫子が笑いながら言う

「ですね。一生そうかも」杏奈が苦笑いしながら言う

 

 

鬼のように生きて

2005年4月

サングラスにシャネルのスーツと言う出で立ちの女性が男性を伴い行田病院のナースステーションを訪れていた

 

「志村倫子さんいらっしゃる?」その女性はカウンターの川端に尋ねると同時にサングラスを外す

「あっ!あなたは...」サングラスの下からあらわれた顔に川端は驚く

「お久しぶり、宇佐美繭子です。隣にいるのはマネージャーの大場。あの時はお世話になりました。」その女性はそういうとニコリと笑って頭を下げた

 

院長のはからいで繭子とそのマネージャの大場、倫子の三人は応接室に通された

「宇佐美さん、お久しぶりです。去年は国際映画祭で女優賞獲りましたよね。4年前より更に活躍をされていているようですごいなぁ」倫子はそう言って久々の再会を喜ぶ

「言ったでしょ。鬼のように生きるって。あの時、私に起きたスキャンダルを糧にしてやろうと決めたのよ」繭子は得意げに語る

「あのスキャンダルで繭子は清純派としては難しくなったけど、今考えると逆にいえば清楚なイメージを覆す役をやるチャンスにもなったんだ。」大場が紙コップのコーラーを飲みながら言う

「悪女とか以前にはやらなかった役をやることで演技の幅は格段に広がったんだ。最近、女優賞を何個も頂いたけど、スキャンダルが起きる前には演技で評価されるなんてことはなかった。悪く言えば型にはまった無難な女優だった。」大場は鞄から取り出した昼食がわりのカロリーメイトを口に含みながら語る。

「賞をいただいた作品だってミニシアター系の映画だけど、スキャンダルが起こらなければ大手の映画会社の作品にしか出なかっただろうからなかっただろな」繭子はそう言って紙コップのコーヒーを飲む

「確かに繭子さん、今では激しい役をやらせたら右に出る女優さんがいないとか言われてますものね」倫子も紙コップのお茶を飲みながら言う

 

「直江先生にこの姿見せたかったな...」繭子はそうつぶやき目を潤ませる

「本当だよ...」大場もうなずく

「怪我の経過をみる検診で行った時に、3月に亡くなられたと聞いた時はショックだったな...」繭子はあふれ出る涙をぬぐう

「でも先生、宇佐美さんの活躍を喜んでますよ。」倫子は穏やかに微笑みながらそうつぶやく

 

「あら、もうこんな時間。ごめんなさいね。仕事が入ってて。もっとお話ししたいのだけど。そぷいえば、今度アニメ映画の声優やることになったの、招待券渡すから息子さんと見に来てね」繭子はそう言うとサングラスを再びかけた

 

「ありがとうございます。陽介も好きなアニメだから喜びますよ~」倫子はそう言ってにこやかに微笑んだ

 

 

5年ぶり(2)

「直江君と私は保育園から中学まで一緒だったの。親同士が同級生で仲が良かったからよく家を行き来していたな。」ゆり子はコーヒーを飲みながら語る

 

「高校、大学は違ったから、会う機会も少なくなってね。私はカメラマン目指して東京の芸大卒業した後、修行を始めたのだけど全く芽が出なくて...28歳の時かな、カメラマンで食べていける見込みなくて諦めて北海道に帰ったの。帰って1年経ってこれから何をしようか迷っている頃に直江君に写真頼まれてね。写真を受け取った直江君が電話で写真を見て癒されているんだと言ってくれたから、やっぱり私は写真を通じて人の心を動かしたいと思ってまた写真撮り始めたの。ある時、ダメ元で出版社に写真持ち込んだら、仕事のオファーをもらえてね。それからは順調に仕事入るようになって、なんとかカメラマンで暮らしていけるぐらいになれた。」ゆり子が語る

 

「へぇ、そうだったんだ」倫子がコーヒーを飲みながら聞き入る

 

支笏湖の写真から撮り方が変わったと言われるようになったの。前は評価を狙ったような撮り方だったけど、心に訴えるような写真を撮れるようになったんじゃないかと恩師にも言われて」ゆり子は窓の外を見ながら言う

 

「へぇ...」倫子はゆり子の話に聞き入っている

 

「ところで、お二人はなにがきっかけで知り合ったんですか?」

 「私が出版社に持ち込むために上京した時に立ち寄ったバーで夫が隣の席だったの。夫もカメラ好きだから意気投合してね」ゆり子が照れながら言う

 

 

「北海大の知人から直江はゆくゆくは教授になるようなエリートだったとは聞いていたけど、彼と初めて一緒に仕事した時、その腕には驚いたな...行田病院に来る際も高徳大学医学部に誘われるだけのことはあると思ったよ」坂下が出されたコーヒーを飲みながら語る

「僕は彼がなぜその誘い断ったのか不思議に思ってね、君はこれだけの腕があるのになんで誘いを断ったの?と聞いたことがあった」坂下が当時を回想するようにつぶやく

「そしたら彼に、出世のために医師になったんじゃないんでと返されたよ。実は僕も直江と同じ理由で大学病院を辞めた人間なんだけど、親父からそのことをことあるたびに批判されて自信を無くしている時だった。でも彼のその言葉で心の迷いが無くなったよ」坂下が窓の外を見ながら穏やかな顔で語る

”坂下先生も、直江先生に救われた人なのね”倫子はその話を聞きながら心の中でつぶやいた

 

「あら~誰かいらっしゃってるの?!」玄関のドアが開く音がした後、清美の声が響く

「お母さん!直江先生がお世話になった先生がいらしてるの」倫子がそう返す

「あら~これは初めまして。私、志村倫子の母でございます。ほら、陽介、パパがお世話になった人よ。あいさつしなさい」清美はそう言って隣にいる男児の背中を軽く触れる

「こんにちは、はじめまして」男児が愛らしく答える

「ようすけって...もしかして...」坂下が確かめるように言う

「はい、彼と私の子供です」倫子が穏やかに答えた

 

「それにしても小さい時の直江君に良く似てるなあ~陽介くんと遊んでいると私も保育園の頃に戻ったみたい」ゆり子は陽介と遊びながらつぶやく

「直江の子供時代って感じだな」坂下もそんな二人の様子を見て微笑む

「北海道に来たら、息子さんと遊びに来たくださいね。」ゆり子がそう言って笑みを浮かべる

「はい、ありがとうございます」倫子もにこやかにそう返す

 

 

 

 

5年ぶり(1)

2004年8月、東京は例年通り、真夏の暑さを迎えていた

 

「5年ぶりか...」行田病院の前に一人の男性が立っていた

 歳は40歳ぐらいだろうか、一重の切れ長の目が特徴的な凛とした顔立ちと日焼けした肌が印象的だ。

ポロシャツにチノパンをまとい、背にはリュックを背負っている。

 「あら、何かお探しですか?」その時、後ろから女性の声がした。

 振り向くと、色白でふっくらした顔つきの可愛らしい女性が立っている

 「ここの看護師さんかな?僕、5年前まで働いていた坂下晃と言います。」

 「あなたが坂下先生ですか?!私、志村倫子と言います」そう言って倫子は頭を下げた

坂下も志村と名乗ったその女性が自分のことを知っていることに不思議に思いながらも頭を下げる

 

「坂下先生、お久しぶりです。もう最近お会いしたのは5年前になるんですね」

院長室を訪れた坂下を院長がにこやかに迎える

 

「お久しぶりです。一週間前にアフリカから帰国したんです。来年から北海道の北海大に新設される救命センターにセンター長として赴任することになりました。」坂下は三樹子に出されたコーヒーを飲みながら近況を報告する。

 

「そうですか、あなたのような腕もリーダーシップもある方なら、救命センターをまとめていくでしょうね。頑張ってください」院長もそう言って激励する

 

「そういえば直江のこと川塚から聞きました。あいつ多発性骨髄腫だったんですね...なんで気付いてあげられなかったんだろう....」坂下はそう言って目に涙を浮かべた

 

「坂下先生は直江先生を充分支えてあげていましたよ。あなたと働けた時間は幸せだったと思う。あなたがいなくなってから彼にとって働きにくい環境になったのは全て私が悪い。そもそもあなたが私から外科のメンバーを守っていたから働きやすかったんだ...残った河森くんがやめたのも、あなたがいなくなって私が外科に介入するようになって直江先生の人格を変えてしまったからなんだよ」院長は悔むように言う

 

「病気の事知っていたら、説得して療養させてたのに...」坂下はそう言ってあふれ出る涙をぬぐう

 

「でもね、彼は最後まで医師でいたかったんだよ。それに最後の三カ月は志村倫子さんと言う方が彼に寄り添っていたんだ。彼女と出逢ってからの彼は穏やかだったよ」院長はそう言って坂下をなぐさめる

 

「志村倫子さんって...」坂下は先ほど玄関ではちあわせた看護師を思い出した

 

その時、院長室がノックされた。

 「パパ、河森先生と志村さん呼んできたわよ」三樹子がドアを開け、そう告げた

 「ありがとう、通して」院長がそう言うと、河森と倫子が入ってきた

 

「坂下先生お久しぶりです!!」河森がにこやかに言う

 「おぉ!久しぶりだな。聞いたぞ、行田病院の河森先生と評判みたいじゃないか。妊娠中なんだから無理するなよ」河森の大きなお腹を見て坂下は気遣いの言葉をかける

 

「志村さん、改めてこんにちは。私、直江と働いていた坂下です。」坂下はそう言って頭を下げる

 

「坂下先生のことは河森さんから聞いてましたよ。先生の部屋に彼が誕生日をお祝いしてもらっている写真ありますし」倫子はにこやかに言う

 「だから僕のこと知ってたんだね。」

 

院長室を出た後、三人は休憩室で話をする

 「ここの院長変わったよね。僕がいた時なんて、お金とスティタスのために医師やっているような人だった。」坂下が紙コップの紅茶を飲みながらつぶやく

 「皆さん、同じこと言いますよね」倫子がそうやって苦笑いする

 「直江のことがあって心を入れ替えたんだろうな。直江の生き様は僕たちに色んな事を教えてくれた」坂下が窓の外を見ながらつぶやく

 「本当にそうですよね。そんな直江先生の生き様を支えたのは倫子さん」河森がペットボトルのお茶を飲みながらつぶやく

 「いえいえ、私なんて何も出来なかった。」倫子は首を横に振りながら言う

 「倫子さんがいたから、直江は最後は穏やかだったんだよ。倫子さんが来てからまたここの病院来た時に戻ったってみんな言ってる」坂下はそう言って倫子をたたえる

 

「あら~坂下先生!!」その時、静寂な雰囲気を破るように後ろで坂下を呼ぶ声がした。振り向くと婦長が立っている

 「関口婦長!!」坂下が驚き、声をあげる

 「久しぶりです。もう関口じゃないの!西田なの!」婦長はそう言って自慢気にネームプレートを見せる。ネームプレートには「西田鶴代」と記されている。

 「西田ってことは....まさか...」坂下が苗字が変わっていることに驚き思わずつぶやく

 「内科の西田先生と結婚しました~」婦長が得意げに告げる

 「えぇ~」坂下は更に驚き、飲んでいた紅茶を思わず噴き出しそうになる

 「なぁに、その驚き方。私だってこう見えて若いころモテたんだから。ただ、気が強い女とは結婚できないと振られてきただけで。今の旦那は君の気の強いところが好きだと言ってくれてね」婦長はそう言ってのろける

 「西田先生、そういえば自分はMだと言ってたもんな」坂下が思わずつぶやく

 「今、なんか言いました?」婦長が坂下に噛みつく

 「いや、なんでもないです」坂下がごまかす

 

「婦長~玄関で待ってますね」休憩室の入口から若い看護師が顔を覗き込み婦長に告げる

 「夜勤明けだから、これから新しく入った新人の子と食事しに行くの。こちらからコミュニケーション取ってあげたいと思っててね。鞭も必要だけど飴も同じぐらい与えなきゃ」婦長がそう言ってコートの襟を整える

 「じゃあ、私はそろそろ。河森先生、無理しないでくださいね。志村さん、来年の3月17日から21日まで休み取れるようシフト調整するわね」婦長がそう言うと休憩室を後にした

 「婦長も変わったよな~新人と食事に行くなんて絶対無かった。新人には鞭しか与えない印象だったよ」坂下は婦長の変わりように驚きを隠せない

 「彼女も直江先生の生き様見て変わったのと西田先生に愛されているからなんだろうね。やっぱり恋は人を変える」河森がニヤニヤしながら言う

 「でも夫婦喧嘩した翌日は機嫌悪いよね。また前の婦長に戻る」倫子が苦笑いしながら言う

 「年に1,2回ね」河森も苦笑いする

 

「そうそう、坂下先生は付き合っている人とかいないの?」河森がたずねる

 「ふふふ、実は北海道にいるんだ。来年結婚する」坂下がはにかみながら言う

 「えぇ~!!」倫子と河森は驚きの声をあげる

 「ねぇ、どんな人?」河森が興味津々にたずねる

 「7歳年下。カメラマンやっているんだ。自然を題材にした作品をよく撮っている。山岸ゆり子と言うんだけど...聞いたことあるかな?」

 「山岸ゆり子さん...そういえば先生の部屋にある支笏湖の写真の裏に撮影者の名前として記されていた名前と同じ...もしかしてあの写真,,,」倫子は確認するように尋ねる

 「そういえば、先日あいつの作品集見ていたら、支笏湖の写真があったな...作品について聞いてみたらこれは東京にいる幼馴染に頼まれて撮影したものだと言っていた。その時心苦しそうだったな。」坂下はその時の様子を思い出しながら言う

 

数日後、倫子の家に2人の来客があった。坂下と婚約者のゆり子だ。

 「これ、間違いないです。直江君に頼まれて私が撮影したの」ゆり子が支笏湖の写真を見ながら言う。

 「5年前かな、直江君が久しぶりに私の家に尋ねてきてね、支笏湖の写真を頼まれてね、後日撮影して東京の彼の所に送ったの」ゆり子が写真を眺めながら懐柔する

 「後日、お礼の電話を彼がくれてね。眺めていると落ち着くんだありがとうって。それが彼と話した最後だったな。二年後、支笏湖で亡くなったと聞いた時は...」ゆり子がそう言って泣き崩れた

 

「でも、この写真が彼にとって癒しだったんですよ。孤独な彼を見守っていたんですから」倫子がそう言ってゆり子をなぐさめる

 

しばらくして、落ち着いたゆり子は直江との思い出を語り始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢へ

「3077...3077...あった~!!」

2004年2月、まだ雪で覆われている札幌で杏奈はK中学の合格発表を迎えていた

学校では成績トップ、模試でも全国トップクラスに入る杏奈だったので、塾の講師との受験直前の面談でも「合格は間違い無し」と太鼓判を押されていたが、合格発表を迎えるまでは不安だった。

K中学は道内で一番の偏差値を誇る名門私立中学校だ。叔父の母校である道内1,2番の公立進学校、札幌明館高校に受かるような生徒でも中学受験で不合格になることが珍しくはない中学である。

叔父である庸介の通った明館高校も医学部進学実績には定評があるが、K中学はそれ以上だった。中高一貫教育ゆえに授業を速くすすめられるために早めの受験対策にも定評があり、国立大医学部合格実績は全国上位を誇る。

医師を目指す杏奈にとってはまずはK中学への進学がその第一歩であった。

「良かったわね...夢に一歩近づいたね...」泰子が涙ぐみながら杏奈の手をにぎる

「3月には支笏湖に行って叔父さんにも知らせなきゃ...」杏奈もあふれ出る涙をハンカチで押えながら言う

「あの子も喜んでるわ...さて、お父さんに電話しなきゃ」泰子はそう言うと、携帯電話を取り出した

 「杏奈!!受かったって!!」自宅で泰子から合格の知らせを受けた真一が一恵に知らせる

「あら~おめでとう!今日はお祝いにすき焼きね!!」一恵も合格の知らせに満面の笑みを浮かべる

 

2カ月後、K中学で入学式が行われていた。主席入学した杏奈が入学生代表で答辞を読み上げている。

その姿を見て一恵は18年前、明館高校主席入学者として答辞を読み上げた庸介を思い出していた。当時の光景が蘇り一恵の目から涙が落ちた

「義母さん?」その様子に気付いた真一が心配そうに見る

「ごめんね...ちょっと庸介のこと思い出して...」

「庸介くんも主席入学で答辞読んだって、泰子が自慢してたなぁ...杏奈の頭の良さは庸介くんゆずりだね。僕なんて一浪して、後期で工学部だもん」真一が杏奈の姿を見ながら言う

「いえいえ、あなたの教育が良かったのよ」一恵が涙を拭きながらも笑みを浮かべながら言う

「その教育も、叔父さんみたいな医師になりたいんだろ?と言うだけだったな。そしたらゲームに夢中になっていても途中でやめて机に向かっていた」

「あら、そうだっけ?」そう言って一恵が笑う

「私がどんなに怒っても言うこときかなかったことでも、叔父さんが天国で呆れてるよと言うだけで素直にきくんだもの」泰子もそう言って苦笑いする

 

入学式が終わって、家に帰ると倫子から杏奈に電話がかかってきた

「杏奈ちゃん、今日入学式だったんですって?聞いたわよ~あのK中学にトップ入学ですって?」倫子が嬉しそうに言う

「たまたま入試問題が得意分野だったんですよ。それに医学部に入学できるかどうかはこれからの頑張り次第だし。そうそう、入試終わってゲームやろうと思ったら母に「叔父さんと同じ大学行くんでしょ?それまで受験終わらないわよと止められましたよ」杏奈が苦笑いしながら言う

「ふふふ、杏奈ちゃんの弱点はあの人なのね。泰子さんが言ってたな~私のどんな説教より「叔父さんが呆れるわよ」の一言だって」そう言って倫子が笑う

「弱み握られちゃたな~あはは」杏奈もそう言って笑った